最終更新日:2001.04.28
思い出のスーパーギャング

このページはどうと言うことの無い私の思い出話です(笑)
長いし読みづらいかと思うので読み飛ばして頂いても構いません(苦笑)

 私が初めて「渡辺美里のスーパーギャング」という番組を知ったのは、89年の後半か90年の前半だったと思います。
私がみさっちゃんのファンだと知って、同級の友達が「深夜ラジオをやっているよ」と教えてくれたのです。
そう、私は第2期('89.6〜)のスーパーギャングしか知りません。
というか、第1期('85.10〜)の頃は「渡辺美里」という歌手を知りませんでした(苦笑)

 さて、ラジオの話を聞いてすぐ、私は当然のごとく聴いてみることにしました。
金曜深夜25時という時間は、当時の私にとっては未知の世界でした。
眠い目をこすりながら待っていると、25時の時報と共に聴こえてきたみさっちゃんの声。
「うおー、ホントにやってるよ(爆)」
なんて思っていると、みさっちゃんが曲紹介を始めました。その時かかった曲は。。。。
すみません、忘れました(笑)。でも、洋楽だったことは確かです。

当時、洋楽を受け入れる器を持ち合わせていなかった私は、「アカン。。。」と思い、そのままスイッチを切ってしまいました。
洋楽を受け入れないというよりは、英語に対する拒否反応だったと思うんですけどね。
当時も今も、英語と見ると寒気がします(爆)。なら、何で今この仕事をしてるのか、、、、は謎ですが(笑謎)。

 ラジオのスイッチを切ってしまった私は、それから暫くスーパーギャングを聴くことはありませんでした。
今から思うと非常に勿体無いことをしてしまったと思うのですが。
私が本格的にスーパーギャングを聴くようになったのは、8月を迎えてからでした。

 '90年の8月は私にとってターニングポイントになった時期でした。
そう、初めて西武球場のライブに参加したのです。
それまでに行ったライブは、前年の東京ドームのみ。
ツアーも未体験のまま西武に乗り込みました。
本当は前年の西武にも行きたかったのですが、チケットが取れずに断念したのです。
 #行きたかったライブは、今では伝説のライブとなっている「雨のバカヤロー」です。
初めてライブで訪れた西武球場は、感動の連続でした。
特に、この年に初めて起こったウェーブは今でも忘れません。

 オープニングから何曲か歌い、最初のMCに入ったときのことです。
私は1塁側スタンドのかなりステージよりの席でした。
みさっちゃんの話に耳を傾けていると、一番端のほうから聞こえてきた「せーのっ!」という掛け声。
何かと思ってそちらの方を見ると、突然人の波が押し寄せてきたのです。
何がなんだかわからないまま、みんなと同じようにウェーブをやっていました。
MCも中断して、ウェーブは3塁側スタンドの端まで行き、大きな拍手が起こりました。
ここでみさっちゃんはステージ後ろを振り返り、何事か話している様子。そして
「もう一度やってくれる?」

当然もう一回1塁側スタンドから起こったウェーブは、再び3塁側の端まで行き、そして更にアリーナまで降りていきました。
さっきよりも更に大きな拍手が起こって、会場全体が一つになったような、そんな気分になりました。

このウェーブが、私を再びスーパーギャングに引き戻すきっかけとなったのです。

 あのウェーブをみさっちゃんはどう感じていたんだろう?
そう思った私は、早速翌週の放送を聴くことにしました。
この時はなぜか洋楽もすんなり受け入れ(笑)、みさっちゃんの話に耳を傾けていました。
そこでは、前年の「中断」から1年、みんなからのプレゼントだったのだと思う、というようなことを話していたと思います。
また、後ろを振り返って何事か話していたのは、
「突然のことで、カメラマンもきっと始めの方を取り逃しているだろうから『今度はちゃんと撮ってね』という念押し」をしていたそうです(笑)

 この日の放送を最後まで聴いた私は、すっかりはまってしまい、次の日には早速葉書を書いていました(爆)
最初の葉書がどんな内容だったか、すでに忘れてしまいましたが、この日を境に「葉書職人」として歩むことになったのです(自爆)
とは言っても、当然出した数の半分も読まれていないのですが(^-^;)

 初めて読まれた葉書は「MISATO NEWS SHOW」でした。
このコーナーは、リスナーの身近に起こった出来事をニュース風にまとめて紹介するというもの。
1日に3本紹介するのですが、確か2番目に読まれたと思います。
名前が読まれた瞬間、鳥肌が立ち、興奮し、深夜だというのにものすごく目が冴えてしまいました(笑)
でも、かなり嬉しかったことは事実です。
何週間かして、初めてのパイナップルシールが届きました。

 こんなこともありました。
 tokyoツアーの東京ベイNKホール公演に友達(ラジオを教えてくれた人とは別人)と行きました。
ツアー、小さいホール(と言っても5000人収容。。。ま、西武に比べれば小さいということでf^-^;)のライブは初めてだった私は、
あまりのテンションに友達がいたことさえ忘れていたのですが(自爆)、
MCで一息ついたときにふと横を見ると、何故か友達は上を向いているのです。
なんと、何を興奮したかライブもまだ前半だというのに鼻血を出してしまったのです(笑)
「これはネタにしなければ(爆)」と思った私は、翌日の学校で授業中に(核爆)NEWS SHOW用の下書きを書きました。
一通り書き終わってその友達に見せると「ちょっと貸して」と持っていってしまいました。

 20分後、私の書いた「私から見た友達」の原稿が「友達から見た自分と私」に書き換わっていたのです(ばく)
この葉書を同時に番組に送ったら二人一緒に読まれないかな?などという甘い考えで(笑)送ったところ、
友達の書いた葉書が採用されました。
私のは結局読まれなかったのですが、「お前のパイナップルシールの半分は私のだ」と言い続けたのは言うまでもありません(爆)

 たくさん書いた葉書の中で、一番の笑えた?恥ずかしかった?思い出といえば、、、、
 みさっちゃんに怒られた事件でしょうか(笑)
字が大きく汚い(苦笑)私は、自分で葉書に7mmの罫線を引いていました。
 #こんなことするから、すぐに血液型がバレてしまうのですが(ばく)
7mmというのは、5mmじゃ細すぎ、1cmじゃ太すぎるという試行錯誤の上に決めた自分なりの太さです(笑)
この罫線の間に、自分なりの思いを込め、丁寧に丁寧に書いていたつもりだったんですけど。。。。。
ある日の放送で私の葉書が読まれました。
しかし。

「東京都の、、、、うーん字が汚くてペンネームが読めないよぉ。東京都の○○君・・・・もうちょっと丁寧に書いてね」

うがー、ショーック、ガビーン(死語)、怒られた。。。。。。(苦笑)
葉書の内容は、どう聴いても私が書いたものに間違いない。。。。
名前も確かに私の名前だ。。。。。(汗)
自分ではかなり丁寧に書いたつもりだったんですけどね。
これ以後、さらに丁寧に書こうと心がけたのは言うまでもありません(笑)

 「トンネル天国」のコーナーにもよく出してました。
このコーナーは、駄洒落一発ギャグのオンパレードみたいなコーナーでした(笑)
私も、しょーもない駄洒落を書いては、みさっちゃんに「ま、ジャブということで」と軽く受け流されてしまったこと数回(爆)
で、このコーナータイトルが後に「タイムトンネル天国」という曲の元になったのはあまりにも有名な話。

あと、番組が終わる数ヶ月前に突如始まった「半分チャーハン」というコーナー。
このコーナーの由来は、レコーディング中に中華の出前を取ったスタッフ一同。
みさっちゃんは他の人が注文したチャーハンが妙に食べたくなって、その人が来ないからちょっとずつ頂いていたら、
気がついたら半分くらいになってしまった、という話からついたもの。
要は「今だから言えるごめんなさい」ってコーナーでした。
これ、別にコーナー化するつもりは無かったみたいなんですけど(笑)、
あまりにも葉書が多くてコーナーになってしてしまったみたいです(笑)
で、なんと私の葉書がコーナー化一発目に読まれ、もの凄く感激しました。
でも、その分「トンネル天国」の時間が削られちゃったんですよね。。。。

 番組にもいろんな事件がありました。
一番覚えているのは、大江千里さんがゲストで登場した週(たぶん、「APORO」発売直後くらい)。
千里さんが帰られるということでみさっちゃんの曲をバックに(笑)退場、、、、のはずが
CDが音飛びしてしまい、曲を中断して再びスタジオに。そこには再び千里さん(笑)
「帰ろうと思ったら曲飛んじゃったから、そのままバックしてきちゃった」(爆)
しかしこの回はおかしかったですね。
この後も2,3回音飛びしてました。
最後には、みさっちゃんもちょっと怒り気味で。。。。。(^-^;)

 あと、「実は今回が100回目でした」事件とか。
99回目(と言われていた)の放送の中で「来週はなんと100回目です!」と大々的に宣伝。
翌週の放送では「100回おめでとう」という葉書がたくさん紹介されたのですが。。。。。
さらにその翌週のオープニングで。
突然「実は今回が100回目でした」と謝るみさっちゃん。
毎週の台本に放送回数がナンバリングされていたらしいのですが、
どこかで1回飛んでしまっていたらしいのです(笑)
それに気がつかずに「来週は100回目」と宣伝し、放送したものの、
100回目(と思っていた放送)が終わってからよくよく整理してみると、
実はその回が99回目であったことが判明したのです(笑)

 そしてこの100回目の放送後しばらくして、「渡辺美里のスーパーギャング」は終了しました。

 終了の理由は「番組改変で2時間だった番組が1時間に短縮されてしまう」ということ。
「今の私には、1時間じゃ納得の行く番組を作れない。だからおしまい」という内容のコメントをしていました。
この発表は終了4回前のことでした。
残り3週、頑張って葉書を書いたものの、結局採用されずに終わってしまいました。

 頑張ったのには理由がありました。
番組でもらえるノベルティは、葉書が1枚読まれるごとに送られてくるパイナップルシールと、
さらにそのパイナップルシールを集めるともらえる特典がありました。
5枚目でTシャツ、10枚目でキーホルダー、15枚目でトレーナー。
このとき私は9枚まで来ていました。あと1枚でキーホルダー。
この思いが私にラストスパートをかけさせたのです。
しかし、ダメでした。
が。

 番組終了は早くから決まっていたのでしょう。
5枚貯まった時点で「Tシャツ下さい」と番組に投げたのですが、
何週間かして返ってきた封書には「製作中です」という内容の手紙。
思うに、Tシャツの在庫は切れていたものの、
まとめて発注しないと非常に高いものになってしまうし、そんな枚数も出ない、と。
だから「製作中」ということにして番組が終わるのを待っていたのではないでしょうか?
番組終了後、Tシャツを送れなかったお詫びと共に、キーホルダーが送られてきました。
それが、ここに載せてあるものです。

 スーパーギャングは、私にとって無くてはならない思い出の一つです。
あの番組があったからこそ、渡辺美里という人に、曲に思いっきりはまれたんだと思います。

 あぁ、また深夜ラジオをやってくれないかなぁ。。。。。


 葉書が読まれたコーナー
 ○MISATO NEWS SHOW(2枚)
 ○トンネル天国(3枚)
 ○半分チャーハン(2枚)
 ○コーナーとは無関係に2枚
 合計9枚

 上記以外に好きだったコーナー
 ○新・日本葉書紀行
 ○みさっちゃんの知恵袋